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当たり前のこと

日に日に寒さが増します今日この頃。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

先日お手伝いいたしましたご葬儀で、お寺様がおっしゃっていたことが印象に残ったので、皆様にもご紹介したいと思います。
それは、初七日のおつとめが終わり、最後にお話をされたときでした。

「私は生まれたときから、お寺で育ちました。ですので、小さい頃から手を合わせてお参りをしていました。私にとっては当たり前のことだったのですが、ある法要で、お子さんから『なんで手を合わせるの?なんで〈なむあみだぶつ〉っていうの?』と聞かれました。自分には当たり前で疑問にも思わなかったことを聞かれて、驚きました。答えられなかった私は『次の法要までに調べておくね』と伝えたのです。
調べてみると、手を合わせることには『私を見てください』という意味合いが込められていて、〈なむあみだぶつ〉は『お釈迦様』と呼んでいました。
つまり、手を合わせて〈なむあみだぶつ〉と唱えるのは、『お釈迦様、私を見てください』と言っているのです。」

このようなお話でした。

単純に、手を合わせることの意味や、〈なむあみだぶつ〉と唱える意味を知る機会になったのもありますが、私もお寺様と同じように〈なぜ〉手を合わせるのか、〈なぜ〉なむあみだぶつと唱えるのかと疑問を抱いたことがなかったのです。
お寺様に〈なぜ〉を聞いたお子さんは、一つひとつに疑問を抱くことのできる力があるのだと思いました。
また、その言葉を聞いて調べられたお寺様の行動も大切なことだと思います。
疑問を抱く力があっても、それを探求する心がなければ、意味のないことだと感じるからです。

今の自分には、そのどちらも必要だと思いました。
疑問を持ち、それを調べる行動力によって、自分の見えている物事が変わると思った出来事でした。

平安会館 文十鳳凰殿

担当 登地 夏生


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