処暑の候、皆様いかがお過ごしでしょうか
本日も当ブログへごアクセスいただき誠にありがとうございます。
さて、「供養」ということですが、
本日9月4日はもちろん語呂合わせで、ご存じの通り「供養の日」ということです。
では「供養」とは果たしてなんなのか?考えてみたことはありますか?
私も葬儀社の人間として、何度か考えてみた事があります。
ここでは、あるお寺様の御法話を一部意訳し抜粋して紹介させていただきます。
「ここにおられる皆様は、亡き人を見て『かわいそうだ。』と仰います。
しかしながら亡き人は今、阿弥陀如来のお力で極楽浄土へとお帰りになられました。
極楽浄土は迷いのない世界でございます。そちらで迷いのない仏様となられた亡き人を心配するというのは、いささか傲慢ではないでしょうか。
わたくしどもの方こそ、この娑婆で迷っておるのです。
むしろ、亡き人が我々を心配して下さっておるのです。
この縁、悲しい縁ではありますが、この縁を持って我々に対して”死”というものを身をもって教えてくださっておるのです。」
というお話をされていました。
もちろん、宗派によって考え方は違いがあります。
確かに、老少の境無く死というものは必ず訪れますが、人はそれをあまり考えないようにしています。
では、供養とは何なのか。
これは死について考えることこそが、供養の一つなのではないかと最近考えるようになりました。
とはいえ、これは私の考えです。
皆様も一度、「供養」というものについて考えてみてください。
きっと十人十色の供養の形があると思います。
また、時節柄ご自愛くださいませ。
文十鳳凰殿・平安会館
伊藤 勇也
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